おー! もっといたいわん

 

 

                   酔 夢 譚

19927

 

 午前10時、気温38度、気怠い雰囲気が駅前にある。流石に身体には汗がべっりとまとわり付き、北回帰線を昨夜のうちに越えてきたことが実感できた。高雄の町並みは丁度20年くらい前の日本の地方都市といったところかな。木造平屋の駅舎、バスターミナル、日除けアーケードのついた駅前商店街などなど・・・

 気温と道路添いに茂る椰子の木だけが台湾にいることを感じさせる。

 

 

7月8日(水)

 蛍池駅より阪急バスで空港に向かうが、旅行者風ではなく、空港関係者の通勤客が多いのには驚かされる。空港の存続について、騒音問題だけでは廃港うんぬんが語れない実情を垣間見ることが出来る。

 

 集合時間の8時を越えること30分で、団体客取扱窓口に到着。月々1500円で3年間、爪に火をとぼすようにして貯めた旅行積立、さすがに3年間も貯めますと、爪が真っ黒けになってしまいました。

 

 台湾に対する興味は今回参加するか否かの迷いでも分かるように、さして興味のある国ではなかった。ただ、3万円の追伽金を払うことによって異国の地に3泊4日間連れていってくれるというので、今回の参加とあいなったわけだが、約1ヵ月間の悶絶の結果であった。

 

 ごったがえしている1階のチェックインカウンターで我社のOK大学同窓会幹事のU君を捜す。さ すがに手続きは全て終わっており、今回の参加メン゙ーの面々は2階の団体待合室に入っていた。そこでは恒例のお土産手続きの゚ンフレットが配られており、係員が「台北空港では品数が揃っていませんので、ぜひこの機会にお買い求めください。」と口上を述べていた。つまり、出国手続きを終え、大阪空港の免税店で土産を買い、台湾に持って行き、また日本に持って帰るわけかな。どこが土産やねん。責任者出てこい!

 

 土産というのは、その土地の産物やど!

 マカデミアンナッツは台湾の何処で出来るんや!!!

 

 今回のわしの小遣いは2万円。この場はひとつ、耳餃子、口焼売、目甘栗にして次に進もう。

 日本ア゙ア航空EG211便は帝国の10時20分にテイクオフ。約2時間30分で台湾・台北空港に運んでくれる。日本ア゙ア航空は日本航空の100%出資の子会社で、勿論、国交の無い台湾の空港に日の丸の旗を持込めない背景はあるものの、台湾のみならずア゙ア方面におい て航空網制覇のために関西新空港の海港と絡めて現在勢力を伸ばして来ている。将来的にはア゙アの空からJALの文字は消え、関西新空港をハブとして日本ア゙ア航空が飛回ることにな ると思われる。、マヅ車の車がアンフィニ・゙ラン゙とマヅラン゙の2本立ての戦略で、貧乏人とちょっと貧乏人の二つのター゙ットを作り、展開しているのとよく似ている。

 

 というわけで、われわれはマヅラン゙の飛行機に乗込んだ。例によって、なんでこれだけ の人間を乗せて空に浮くんやろか、という極めて、ライト兄弟が聞けばアホカ、と言われそうな知識状況の中で機中の人となる。(ライト兄弟かてこない人を乗せて飛ぶとは思ってなかったはずや!)

 

 あきらかに日本航空のお下がりである機体は、瀬戸内海より高知沖、鹿児島上空を経て一路台湾へとひた飛んだ。(ひた走るという言葉があるなら、これもええでしょう)機内食も明らかにアメリカ、ヨローロッ゚便とはワンランク下がっている感じを受けるが、アルコールさえあれば別 段、私は不満はありませんが。それにしても、ウエイトレス風のおねーさんも大変でっせ。 次から次へとアルコールのお代わりコールが出て。おまけに、機中存分活用族はことごとく彼女達が教え込まれた接客マニュアルの裏をかき、出した機内食もなかなか片付かない。

 

 彼女達の受け持ちゾーンは大体50人くらいだろうか。50人の人間に飯と酒を提供すれ ば事態は明らかに推測できます。飲み屋で50人入っている状況を想像してみてよ。おまけにフライト時間が短いことが混乱に輪をかけるのである。着陸禁煙サインが点灯する゙リ゙リまで飯を食っていた我が同僚゙ルー゚は、着陸゙ルト着用サインが点いたとたんに後部のラ゙トリーに向か うのであった。もちろん、あとに残ったのはスチュアー゙スの鋭い視線である。   

 

 腹も、ショル゙ー゙ックもナイフ、フォーク、ティーカッ゚、塩、胡椒、砂糖、゙ター、ワイン、爪楊枝、石鹸5個で一 杯になったころ、無事にラン゙ィン゙。驚き召されるな、これらの゙ッ゙は旅の必需品でござる。

 

 

 窓越しから見ても暑そうな台北空港へは、なかなか巧みなラン゙ィン゙であった。操縦士のマヅー゙ョンは頂けないもんんな。入国手続きを待つ間に、どこの国でも同じであるが、愛想の悪い銀行で両替をし、これ又同僚と世間話に忙しい女性入国審査官の審査を受け、これまたまたやる気の無い税関士の前を素通りする。この雰囲気だけでも、この国の気怠さと暑さを予想させてくれるのだった。

 

 空港前には大型ハイ゙ッカー゙スが待ちうけていたが、゙イツ、ネオ゚ラン社製の中古車である。散々、 ヨーロッ゚の大陸を走り回ってきたのだろう、シートや運転席回りのくたびれがそれを物語っている。空港から市内へのアクセスは8車線の高速道路が用意されているが、゙ンコックほどにないに しても、ご多分にもれず混雑の様相を呈している。

 

 ネットリとした空気が首にまとわり付く中、もうもうと煙るお線香が渦巻く。煙の向こうは鈍く脂色に輝く仏陀の姿が浮かびあがる。ここは台北市内の南東部の下町にある龍山寺。供物台には、いかにも熱帯特有の果物や原色の花に混じっでー゙ンの催し、サラ金、占い等々の゚ンフッレトが置いてあり、いかに仏教が生活に根ざしているのがよく分かる。

 

 さきほどから゙イ゙は流暢な日本語で寺の由来を喋っているが、わしの目は背中が大きく 刳られた服を着て、一心に膝まづいて仏陀に祈るおねーさんに釘づけとなっている。

 

 まだまだ煩悩が取れんわい。

 この旅行は3泊4日、「大満足・台北の旅」となっている。本人の意志にかかわらず行動が拘束されている。当然、私にとってこの状況は葛藤の対象となり、今回の参加か否かを、幹事さんの迷惑も省みずギリギリまで引き伸ばしていた原因を作り出していたのだった。縛られた身体の縄は本能的に解きたくなるものである。ま、人によってはもっと縛って、という輩がいないでもないが。それはさておき、本能の命ずるがままに、本日の夜より自由行動を目論んだ。

 

 半日の一通りのお決まりコースの台北市内見物は終わり、ホテルへチェックインとなったが、これまた、いままでこんな豪華なホテルに泊まったことないわ、というホテルで、いま流行のゴーンと最上階まで吹抜、シースルーエレ゙ーターが上に下に、というレイアウトを持った環太平洋飯店であった。

 

 しもたー。こんなホテルで3泊やったら、しょうもない見栄をはって、今夜から一人旅に 出ますわ、なんて言わんといたらよかった。あとの祭りである。夕食の集合時間には若干の時間があったので、シャワーのあと、あとの祭りをせめて、あとのおつり位にまで緩和するために、゙ッ゙に横になったり、TVを付けたり、ワー゙ロー゙に服を懸けたり、冷蔵庫を開けた り、水洗便所の水を流したり、聖書を開いたり、アラームをセットしたり、郵便セットを点検してもらえるものは貰ったり、石鹸あげくの果てにはシャワーキャッ゚まで゙ックに入れて、本日の泊まれ ない分の元を取ることにした。

 

 でや! これでチョットは元取ったやろ。

 

 真っ黒な石鍋が中華テー゙ルの上にドーンと置かれた。本日の夕食は台湾料理の鍋物。最初はニギニギしぐーイが海の幸、山の幸を入れていく仕草を見ていたが、結局、日本の鍋物 の汁の少ない形態であると分かった頃から、目線は他のテー゙ルに移っていった。

 

 どうみてもチグハグなカッ゚ルが6人いる。゚ンチ゚ーマの日本人が3人と水商売風のはでな風体の女性が3人、食事をしている。男女がかわりべんたんに座っているのだが、心なしか男女の距離がぎこちないのである。しばらくこの光景を見ていて、ハハーンと納得してしまった。まだ、こんなんがあるんやなー。

 東南アジア・やるパック・3泊4日・やりたい放題!てーのが

カップルのぎこちない距離は、連中の旅が初日であることを物語っている。聞くところによると、入国時に飛行場まで迎えに来て、3泊4日の寝食を共にするという。食は今見ている光景であり、寝はこれから起こることであろう。ちくしょー!と思う心と、やっぱりちくしょー!、と思う心が交錯する。                      

 夕食前から降り始めた激しいスコールも小降りとなり、゙スでホテルに着いた頃には、昼間 の熱気をこのスコールだけでは洗い流せなかったのだろうか、相変わらずの湿った熱気が通りを占領していた。

 

 

 ホテルの前で皆さんに再見の挨拶をして、路線゙スの停留所に行く。中国本土よりはましで あるが、なかなかの乗車困難状況である。台北市内は地下鉄などの大量輸送施設が無いため、都市内移動は路線゙スとタクシーに頼らなければならないのが実情である。さて乗車であるが、路線図を見ながら゙ス番号を確認するも、゙ス停留所にはその番号の表示がなく、うろうろしてしまう。結局、いつものメモ作戦で゙スに乗るが、予め昼間に買っておいた回数券を運転手に差出すが反応が無く、首を横に振るだけであった。とりあえずはその場を取り繕うために現金を箱に入れたが、どうも附に落ちない。後で分かったことだが、大手゙ス会社が二つあって、どうも他の会社の゙スに乗ったらしい。

 

 台北駅は最近に新築された立派な駅舎で、゙ラン゙フロアーは6階部分まで吹抜となっており、その中心部に2階建ての発券事務所がある。発着も電光表示がされており、小さいながらも駅舎の中に美術館までも備っている。発券業務は常時しているようで、メモに「高雄、今天(本日)、男1名、自強号(特急)、第1希望30次、2230分、第2希望、2330分」と書いて窓口に差出す。暫らくして、第二希望の台湾鉄路局発行の乗車券が現金527 2600円)と引換えに差出された。

 

 出発までには3時間ほど時間があるので、駅周辺の探索に出掛ける。それにしても蒸し暑い。手始めに駅前の百貨店に入る。陳列に並ぶ商品群は日本とまったく同じであり、゙ッ゙類などはむしろ日本より゙イン的におもしい商品が並んでいる。クロス・エスカレターで上へ、上へ ・・・

 

 営業時間は9時までとなっているので、8時40分現在ではさすがに人影は疎らとなってきているが、1階のコスメティック売場には若い娘が群がっている。しかし、日本と少し違う光 景がある。゙ラン゙品を持っている娘がいないのだ。阪急電車になんか乗ってみなはれ、1両に必ず゙ィトンのバックを持った娘が一人や二人はいてますやろ。しかし、例えばイ゙リスで゙ィトンのバックを持つ人はロールスロイスに乗ってそれなりのお屋敷に住む人か、そこに住むおっさん に買って貰える人であって、日本のように多層長屋から出てくる小娘が持つものではないのである。゙ラン゙とは本来そうゆうものである、と思いつつ、゙ラン゙物を買えないおじさんは人間ワッチン゙を続けた。

 

 駅裏は三の宮ガード下商店街のようであったが、流石に9時を過ぎると店が開いているのか閉まっているのかが分からない雰囲気になっていた。マグナル゙だけは煌々と店内を照らしており、コーラで喉を潤してか駅に戻ることにする。

 

 駅舎近階の待合室は例の゚ラスチック整形で窪みをもった椅子のため、ゴロンとは横になれず、仕方無く文庫本を読み始めるが、等間隔に並んだア゙ック達の仕草と多少アルコールの匂いがす るのだろう、先程から蚊がわしの周りを旋回しており、なかなか頁が進まない。仕方なくショル゙ー゙ックより蚊取り線香を取出して対策を講じるが、蚊でけでなくア゙ック達もジロジロ見ながら退散していった。なんやねん!台湾では蚊取線香を使わんのやろうか?日本には30日も持つ蚊取り線香もおまっせ。(60日用もあります。)

 月台(゚ラットホーム)には既に結構な人が降りていた。韓国の一件もあるので、切符を何度も 何度も見て、時刻、車両番号、シート番号を確認する。9号車に間違いない!空き席は一席 もない程の盛況であるが、車内は極めて日常的な雰囲気で、旅に出ると云ったうきうきとした空気は感じられなかった。

 

 どうもおかしい。何度試みても動かない。隣のおっさんのシートの方が角度が深いのであ る。レ゙ーが折れて台湾鉄路局から器物破損で訴えられるのではないかと思うほどの力んで みてもも、一段しかリクライニン゙しないのであった。昼間の列車ならまだしも、明日の朝6時 までこの角度では苦しい。今回は2泊3日で、3日目の夕方には宿に帰って、合流をしなければ、台北市内で日本行きの゙ィスカウントエアーチケットを探さなければならない羽目になってしまうのである。そこで、このスゲュールを最大限に活用するために、夜行列車の利用になったのだ。

 

 MY SEAT IS OUT OF ORDER!

 PLEASE Change MY SEAT!

 

 車内検札に来た車掌は周りを見渡し、「僕は切符を見にきただけだもんね、そんなこと は総督に言ってよね」と云わんばかりに、首を横に振るばかりであった。それにしても隣のおっさん、気持ちよさそうに寝とるわ。

 

 

7月9日

 北回帰線は夜のうちに越えたらしい。車窓から見える朝ぼらけの景色は東南アジア特有の水気の多い、ネットリとした感じであった。眠気が取れないままに機関車は定刻よりも5分遅れで台湾の南部の都会・高雄の月台に滑り込んだ。

 

 駅前に行き交う人々は台北とは異なり、アミ族など明らかに先住民族と思える服装の人達が目立ち、垢と汚れが渾然一体となった素足を待合室の椅子に投げ出している横に座るには、少々気後れを感じてしまうのであった。全体がそうであれば別段気にならないが、西洋化した服装の中で、そのような出立ちは矢張り距離を開けてしまう。阪急電車にルンペンが乗っていたら、やっぱり両サイドの席は空きますわな。でも全員がルンペンやったら、やっぱり気後れしますやろ。

           

 先住民族は山間民族と海岸、主に東海岸に生活する海洋民族に分かれいるが、海洋民族は太平洋のミクロネシヤや゚リネシヤあたりから丸木船で渡ってきたそうな。この旅行記を書いてい るときに、台湾と韓国は国交を断絶し、中国と韓国がひっついた。東欧、ソ連の崩壊に端を発した社会主義国の再編成はとんだところでいうよりも、当然のなりゆきで台湾に飛び火をしてきたようだ。民間レベルでの交流は続くそうで、経済的な打撃は実質ないといっているが・・・

 

 

 台湾経済について認識を深めるために若干のお勉強をした結果、以外や以外、ベトナム経済と大きく結びついており、対輸出量も他国を引き離しているのだ。と、いうことは、南沙諸島問題は、やっぱりもめそうですけどね。でも、営々とまた強かに生活を続ける

アジアの庶民は、懐石料理を究極だ、なんだかんだと言いながら食っている日本人の感性では理解しがたいパワーで、大海原を西へ、東へと流れていくのだろう。

 

 高雄の街での一つの目的である「牛乳大王」に行って「牛乳大王」を呑むとゆう行為を全うするためにショル゙ー゙ッ゙を肩に歩き始めるが、駅前より真っすぐに伸びた大通りは、すでに9時の段階で気温は体温を越えようとしていた。しかし、台北に次ぐ第二の都市であり、世界の10大港に数えられる国際新興都市にしては人影が非常に少ない。大通りは幅50m位はあろうか、両側に日除けのアーケー゙を持った3、4階建ての商店が、あくまでもゆった りと続く。アーケー゙と道路の間にはスクーターがぎっしりと駐輪されており、丁度、緩衝帯の役目をしているのが面白い。

 

 自転車が無い。

 おそらく、乗っても漕げるような温度ではないのだろう。

 バンコックでもしかりであるが、インドでは多い。

 なんでや。       

 湿度が問題なのだ!

 

 街の中心にある扶輪公園で朝の太極拳を暫らく見学して、後の方で一緒に動きを合わせてみるが、先々月だったかな、我社の厚生担当が企画してくれた太極拳教室での知識とは若干異なるので、なかなか巧くはいかなかった。しかし、よく見てみるとリーダーの動きに、結構みなさんも合っていないのだ。

 

 さて、どの台湾の゙イ゙ックにも載っている牛乳大王という名の店であるが、なかなか垢抜けをしたファーストフー゙風の店で、「うちのは正味正松この材料を使こてます」、と言わんがばかりに、大きなミルク缶と゚イヤの実が゙ィス゚レイ風であればいいのだが、店内所狭しと置いてあ る。

 

 肌色、あえて言うなら黄色人種、この表現を怠ると混乱をするのであるが、をした少しばかりトローとした液体が、この旅の一つのクライマックスを迎えるために、今まさに透明の細 いチューブをかけ昇って来ようとしているのだ。おーっと!!来た、来た、来たー!!

いま喉チンコを通過しました。胸の高まりの中で、口中に広がった液体の味を舌でまさぐっ ておりますが、言葉にならない。どーした、どーした。おーっと、リン゙に倒れこみました 。まだ体がピクピクと動いている。なにか言いたそうだ。

 

          うまい!と言っております。    以上、古舘レポターでした。

 500CC゚イヤ牛乳は非常に気持ち良く我が胃袋に収まった。

 

 10時頃には、ますます人の動きは疎らになってきた。再び高雄の駅に戻り、すぐ横の゙スターミナルで台東行きのチケットを買う。

 

 あなた日本人ですか?       →アメリカ人にみえるか。

 旅行ですか?           →仕事に見えるか。

 いまから何処まで行くのですか?  →切符買おたから分かるがな。

 こんなやり取りが、誠実そうな切符売場の伯父さんと交わされた。汗を拭き拭き私に話かけてくる。その内に事務所に招き入れられ、お茶まで出てくるのであった。饅頭はまだかいな。聞けば、3年くらい前からテレ゙の日本語番組で勉強をしたとのことであった。し かし、込み入った話になると、たどたどしい日本語では無理でメモ用紙会話になってしまう。

 

 今夜ぜひ私の家に泊まってください。

 海辺の気持ちのよい所です。

 娘もいます・・・???

 明日、懇丁公園の公園に周辺も案内します。

 

 彼の口から発せられる、これらのフレー゙の一つ一つが私の計画に対して揺さぶりをかけてくる。明日の年休の手配まで彼は上司に交渉をし始めた。ちょちょっちょっとー、待ってなー!おっちゃん。

 

 結局、台北に着いた時点で電話をかける、ということで記念撮影をして、その場はなんとか切抜けた。゙スが定刻に入場してからも、彼は、座る位置までも含めて、あれやこれやと世話を妬いてくれた。1030分出発。4時間30(270)゙スの旅のスタートである。町並みは約15分ほどで途切れ、まもなくして真っ青な大海原が車窓の右手に広がり始めた。゙スは100`近い速度で、養饅池が延々と続く海岸添いを走っているが、おそらく欧米で使い古 された中古車であろう、このス゚ー゙と路面状況はいささか荷が勝ちすぎていた。

 

 ほぼ台湾島の南端にまで来た頃、道は大きく東に振り、急峻な山間部に入っていった。まるで腸詰めのようにうねうねとくねった道で、エン゙ンの喘ぎと運転速度調整棒(シフトレ゙ー)の一頻りの゙トルが繰返された頃に、小さな゙スターミナルに着き、小休憩となった。カトマン゙から゚カラにミニ゙スで一日かけて移動した時を思いだす。

 丁度その時もこんな中継地点であった。

 

 15分の休憩があることを確認してから、萱で日除けを建てかけた売店兼食堂に行き、昼飯を物色する。栗やナッツが入ったおこわを棕櫚の葉で包み蒸したような物を売っていたので、それを2つと缶゙ールを買い、50元を支払う。

 

 

 あなた日本人ですか?

 背中の方で女性の声がする。振り返れば同じ゙スで、通路を挟んで横に座っていた女性であった。歳の頃なら40凸凹位だろうか、すこしばかり水商売っぽい雰囲気で、垢抜けをした服装とサン゙ル履きが地元の女性でないことを物語っていた。゙スの中でその女性のことは認識はしていたが、まさか話かけてくるとは思っていなかったので、会話の体裁を整えるには少しばかりの時間を要したが、以前に日本の尾鷲に住んでいて、結婚生活を7年間したが、結局離婚をして現在は東海岸の成功の街に一人で住んでいることを知るまでにはさほどの時間は要しなかった。

 

 休憩の後、゙スは大きく一呼吸をして、再び次の峠を目指して走り始めたが、暫らくしでスは日差しのじりじりと照りつける路肩に停められた。2言3言運転手は乗客に何かを告げたが、私には我不謹(分からない)。先程の彼女が、故障らしいので荷物をもって降りてくれ、と言っていると教えてくれた。

 

 飲みさしの゙ールとショル゙ー゙ッ゙を手に、夏草の茂る道端に降り立つ。客は10名ばかりいた。 事の成り行きが良く分からないので、先程の彼女と話の続きをして時間を潰す。日本登録名は金京子であるが、本名は金玉子といい、尾鷲の役所で、金玉・子と登録されそうになった、などと彼女は懐かしく日本の事を語った。

 

 暫らくすると救援の゙スがやって来た。救援は携帯電話で連絡をとっていた。そういえば結構そんな光景を高雄の街でも目にした。電線の架設やメンテのことを考えると、無線携帯 電話の方がメリットがあるわな。なまじっか先進国で技術革新が進むと、電柱などの1世代前の施設が残ってしまい、いまや邪魔者扱いで景観問題や道路の管理上の問題を引き起しているが、後進国?が最新の技術をヒョイと取込めば、旧施設の遺産処理の問題が発生しなくええわな。

 

 次に来だスはエアコン、トイレの付きの快適゙スであった。すでにどこかの路線を走ってきたのだろうか、既に乗客が6割り方乗っていた。彼女と一番後の席に陣取って、引き続き話に花が咲くが、日本語の会話が妙に゙スの中で浮いていた。   

 

 峠を幾つか越え、゙スはいつしか太平洋が見えるところまで来ていた。景色はさらに人家を寄せ付けず、ひたすら海岸添いに道が伸びるだけであった。そのうちに小さな集落を何箇所か通り過ぎ、4時間30分かかって人口10万、東海岸の南部で一番おおきな街、台東に到着した。

     

 今夜のねぐらばスの中で話がついていた。結局、彼女の家に泊めてもらうことになったのだが、一人住まいで、40凸凹、これチョット・・・。色々思いを巡らすが結論が出ないままに事態へ展開してゆき、彼女は次なる街への乗り継ぎ切符を買い求めていた。

 

「石田さん、今夜は娘夫婦も呼びます。皆で一緒に呑みましょう。」

「わかりました。」

「台湾で結婚していた時の娘で、いまは警察官よ結婚をして、この町に住んでいます。

  近いうちに娘は化粧品店を開く予定です。私も近いうちに美容院を開く予定です。私  は以前に台湾で化粧品店をしていました。」

「ああ、そうですか」

「でも、日本に行ってからの再婚生活は籠の鳥でした。毎日、毎日、゚チンコ屋通いでした。   ゚チンコだけは許可をしてくれたのです。」

「ああ、そうですか」

 

 台東から成功の町に向かゔスの中でも、こんな彼女の身の上話を聞きながら、私の目は太平洋上に浮かぶ小さな島、緑島を見つめていた。台東より飛行機で約20分の所にある島で、なにもない所であるが、それゆえに今回行ってみたいところの一つであった。7〜8人乗りの飛行機ゆえに天候に左右される確立が高く、今朝、牛乳大王で新聞の天気予報を見た限りでは台風だ遥か東の海上に鎮座しておられるので、日程的に尻を決められている状況では、島への移動は尻込みをしていたところだ。

 約1時間、海岸添いを走ったバスは、もう少しで西日に変わりつつある、人口2万3千人、半数以上をアミ族が占め、平地にしては先住民族が多く住む成功の町のバス停に我々2名を降ろしてくれた。バス停の近くに固まった商店街があり、大きな日除けをもった市場の様な商店の一件に、彼女は私を案内した。少しお腹が減ったから、軽く食べましょう、という金さんの誘いに乗る私であった。

 

 成功の港はカジキマグロが有名であるが、ほとんどが出荷されていて、まさか目の前にそれが置かれるとは思ってもいなかった。薄墨桜の花びらの様な色をした切り身が、人参の剣の上に盛られて出され、おまけにジョッキに注がれた生ビールまでも出てきた。

 

 仕切りの無い上屋だけの建物には何種類かの店が入っており、工業用の扇風機が気怠そうにブーンブーンと生暖かい空気をかき回していた。旅行者はあまり来ないのだろう、店の女主人も横に座り、金さんにあれやこれやとしゃべりかけている。結局、中ジョッキを2杯ずつ飲み干し、小さな港から弧を描くようにせりあがった丘の方に向かって、二人は歩き始めた。

 

 夕日に照らされた海面がきらきらと輝き、彼女が被る麦藁帽子と家への夏草の茂る道すがらは、舗装こそされているものの、小学生のころに夏休みに祖母の田舎で過ごしたころを彷彿とさせる光景であった。

 なんでこんな家に一人で住んでいるんやろ。日本を離れる時、たんまりと慰謝料を貰ったのだろうか。鉄筋3階建てのテラスハウス風の家である。何日間も家を開けていたのだろう、熱気が充分に熱気がたまっていたが、全ての窓を開け放つと気持ちのよい海風が家の中を駆け廻った。

 

 石田さん、先にシャワーを浴びてください。その内に娘夫婦もきますから。私は夕食の準備をします。彼女の声に促されでスルームに入るが・・・・

 

 台中に到着して以降の支払いは全て彼女がしてくれている、どうも話がうますぎる。気を許してはいけないと思う気持ちは、シャワーが容赦なく洗い流してしまい、ほっこりとしてしまった。ま、大金と名の付く金は持っていないし、ましてやそんな風体をしていないので、もし彼女が盗賊であったとしても、襲いはしてこないだろうが・・・

 

 日台友好、日台友好でこの事態を理解しようと努力することにした。なんかあったらパンツ一丁でバス停まで走ったらええやん。

 

 夜行列車の汚れと朝からのバス旅の疲れをシャワーで洗い流し、外に出てパンツを履こうとしたが、無い!パンツが無い!  向こうの部屋から洗濯しておいたから、の声。小さなショル゙ー゙ッ゙で来たもんだから、着替えは無い。いくら日台友好とはいえ、金玉子さんと夕食を供にするのに、パンツなしでは男がたたん????・・・

 

 結局、ズボンだけを履いて、乾燥機がくるくると回っているのを横目でチラットと見て、食堂に入る。しかし、電化製品がよう揃ってるのに生活の匂いの無い家である。引っ越しの梱包がそのままのもある。彼女曰く、近々に店を開くのでそのままにしているとのことであった。それにしても、分からない部分が多い。ま、わしは今夜のねぐらに有り付ければいいのだが・・・

 

 玄関に紺色のアメ車が停まった。金さんの娘夫婦の到着である。歳のころなら24〜5才だろうか、金さんが17、8才の時に設けた子かな。携帯電話や大きなアメ車はアミ族やいわゆる台湾人の生活とは明らかに落差があり、私がいま置かれている事態の把握に混乱をかける。ま、わしは今夜のねぐらにありつければいいのだが・・・

 

 夕食は娘夫婦が全て用意してきた。地鳥が丸々入った大鍋がデーンとテー゙ルの真ん中に置かれた。その周りにもカジキマグロのお造り、海老のニンニク炒め等など、所狭しと並べられた。この料理も台東の町にある仕出し屋に頼んで作らせたものらしい。この家族はなんやろう。ま、わしは、今夜のねぐらにありつければいいのだが・・・

 

 娘夫婦は日本語がまったくできないので、筆談か金さんを通じての話になるのだが、日本経済の話や中国本土との関係についての彼らの考え方などを聞く。いまこのファミリーは少なくとも経済的に安定しているから言えるのだろうが、台湾住民の多くは日本に占領を続けてっほしかった、と言っていた。     

       ま、わしは、今夜のねぐらにありつければいいのだが・・・ 

 

 それにしても、中国製のブランディーはなかなかいけるわい。ボトルがほぼ空になる頃、カレン゙ーの日付も変わり、宴もそろそろ幕引きを迎えることになった。娘夫婦も帰り支度 を始めた。と、いうことは・・・・今夜この家では、金さんとわしの二人っきりということやわな。

 

 早くパンツをはかなければ。(なんでやねん)

 娘夫婦にはどうもわしのことを、日本から来た親戚やということにしているみたいだ。それにしても、ですますです・・ま、わしは、今夜のねぐらにありつければいいのだが。

 

7月10日(金)

 

突然日付が変わったのである。       (なんか変やな?)

とにかく、7月10日なのである。     (なんか変やな?)

なにがなんでも、朝なのである。      (なんか変やな?)

どうしても、つぎに話をすすめたいのである。(なんか変やな?)

                     (なんかオドオドしてるな)

 

 彼女は昨日にもまして若作りの衣装を身につけ、ベランダで花の手入をしていた。3階のベランダからは太平洋の海面がキラキラと朝日を浴びて輝いている。俺、ここに住もかな。そんな気持ちにさせてくれそうな、一時であった。

 

 日本女性を妻に持ち、中国人の料理人を雇い、アメリカ風の家を持つことが人生にとって非常にベターであるとされているが、一つずれて、アメリカ人のわがままな妻を持ち、日本のウサギ小屋に住むととんでもないことになるが、少なくとも台湾人の髪結いの妻を持ち、ここ台湾で西洋風の家に住み、台湾料理を食って生活するのは悪くないな。海を身ながらそんなことを考えていると、下の方から、「石田さん。花蓮まで送ってあげるからね」との声がして、現実に引き戻された。

 

 成功の゙スターミナルまで行く途中、彼女は中学校に案内してくれた。彼女が卒業したところ らしい。正門で写真を撮ってあげるが、昨日とはデザインの違う彼女の麦藁帽子を早くもジリジリと太陽が照らしていた。花蓮までは、どうやらタクシーを飛ばすつもりらしく、運転手と交渉を始めたことは気付いていたが、知らん顔をする。おれ、15000円しかもっ てないんやで。花蓮までバスで約3時間、タクシーでも2時間はかかる道程である。         わし、知らんもんね。

 昨日と同じように太平洋の海原が右手に延々と続く。途中、北回帰線を示すモニュメントの所を通過し、なんとなくホットとする。なぜホットしたか解らないが、そう感じた。北回帰線という言葉の響きは、北という文字が入っているからだろうか、寒いイメージがするのは私だけだろうか。

 トヨタ・コロナは冷房を良く利かして、快調に走る。わしが煙草を吸うと運転手は神経質に窓 を開けるが、金さんはそれに呼応するように暑い暑い、と言いながら無神経に窓を閉める、そのやり取りを見て、わしはあわてて煙草を消す。

 

 こんなやり取りを5、6回も繰返したろうか、遠くの海岸に黒い塊が見え始め、それが町であることが認識されるまでには、さらに30分ほどの時間がかかった。花蓮の町は大理石で有名なところであり、それは背後に拡がる急峻な山地からも推察できた。時刻表によると自強号(特急)が止まるし、飛行場もあり、台北までは日に4便を持っている。ここまで来れば今夜のわがグループへの合流と最後の晩餐会には間に合うだろう。

 一段落である。

 

 今日のチケットはメイヨー(有無)!

 空港カウンターでのやり取りである。

 久々に聞いたメイヨーの響きに浸っている時ではない。

 ウエイテイン゙・゙ックに゙ッキン゙しても無理ですか、の質問には、団体客がほとんどですからキャンセル でないあるよ、との返事であった。

 

 今日のチケットはメイヨー(有無)! 

 国鉄窓口でのやり取りである。

 久々に聞いたメイヨーの響きに浸っている時ではない。 

 ウエイテイン゙・゙ックに゙ッキン゙しても無理ですか、の質問には、団体客がほとんどですからキャンセル でないあるよ、との返事であった。 

 でも、立席承知券ならあるよ!

 そそそ、それください。

 

 金さんが財布を開ける。

 金さん、それよくないあるよ。昨日から、ずーと出してくれてるから。わたし心苦しいあるよ。そんなにしてもらうと、わしは台湾に居着いてしまいそうになるから、なんては言わなかったが、サッサと彼女は汽車の切符を買ってしまったのだ。本当に恐縮してしまうが、どうも話がうますぎる。

 

 石田さん、帰りの心配はなくなったから昼ごはん食べましょう。なにか、食べたいものありますか。

 

 なんでもいいですけど、とモソモソと言う。あれとこれが食べたい、なんて言えまへんで。明らかに昼飯もおごってくれるのに・・・??恐縮した尻からこの思考回路や。

 

 タクシーの運転手の案内で料理店に行く。料理のネタが店先のショーケースに入っており、材料を選び、料理方法を指定するやり方である。

 

 

 石田さん、どれが食べたいですか。

 なんでもいいですけど、とモジモジと言う。あれとこれとを食べたいなんて言えまへんで、活けの鰻や訳の分からん魚や貝を見て。

 

 結局、彼女は田鰻と目のした30a位の白身の魚と小エビと地鶏を選んだ。2人でこんなに食べられへんでと思っていると、運転手もわしらのテーブルに付き、一緒にビールを呑み始めた。しばらくして、先程の材料を使った田鰻の甘味あんかけ風、にんにくと小エビの塩加減少々利きすぎ唐揚げ、韮たっぷり入り白身魚スープ、少々縮すぎ風鶏の姿蒸し、焼き飯が丸テーブルにズラーと並んだ。すでにビールは4本目である。

 

 もー知らんもんねー。絶対に知らんもんねー。わしが頼んだものと違うもんねー。焼き飯代位しか、お金もっていないもんねー。

 

 石田さん、お腹一杯になりましたかー。

 はい。

 時間があれば、この町を案内してあげるのにね。

 はい。

 汽車に乗るまでに、お土産を買いましょう。

 はい。

 

 もー知らんもんねーーー。絶対に知らんもんねーーー。最後の最後で請求書が来ても知らんもんね。ちょっと譲って、ニンニクと小エビの塩少々利き加減風唐揚げと焼き飯位しか、お金持っていないもんね。この状況は私がいままで生きてきた中で、見ず知らずの人から受けた親切のうちで一番大きいと認識をしつつ、さらに大きな認識を求めている、私であった。

 

 駅前の土産物店に入る。日本のそれとまんま同じ雰囲気である。

 

 石田さん。どれにする。

 

 なんでもイイですけど、とモソモソと言う。あれとこれと欲しい、なんて言えまへんで、明らかに土産もオゴッテくれるのに・・・恐縮した尻からこの思考回路や。

 

 結局、干豚肉とキャンディーとナッツを持たせくれた。

 

 ほんまに、ほんまに、もー知らんもんねー。絶対に、絶対、知らんもんねーー。もーちょっと譲って、ニンニクと小エビの塩加減少々利き加減風唐揚げと焼き飯とナッツ代ぐらいしか、お金を持ってないもんね。

 

 いよいよ、汽車の時間である。

 

「石田さん、必ずまた来てくださいね。」

「はい。機会があれば必ずまた来ます。京子さんもお元気で。」

「石田さん。ひとつ、お願いがあります。」

エー!?!?★♂♀・・・

「石田さん。ひとつ、お願いがあります。」 

エー!?!?★♂♀・・・」 

 

 そらそら、来た、来た、来たでー。せやから、いやや言うたんや。なんか、いやな予感がしてたんや。 そらバス代は出してもろたで。タクシー代も出してもろたで。カジキマグロも鱈腹食べさせてもろたで。ブランデーも呑ましてもろたで。パンツも洗ろてもろたで。ニンニクと小エビ塩加減少々利きすぎ唐揚げと焼き飯も食べさせてもらいましたで。せやから言うて、今ごろになって、こんな土壇場になって、殺生やないの・・・

 

 石田さん。一つお願いがあります。

 次に金さんの口から発っせられる言葉を、目で逃走経路を探しながら、待ち受けた。

 

 なんでしょうか。金さん。

 

 しおしゃけをねんまつに送ってください。

 塩鮭を年末に送ってください。

 塩鮭を年末に送ってください。

 塩鮭を年末に送ってください

    

 わわわ、わかりました !

 

 安堵の気持ちは、心の底からの感謝の気持ちに変わり、手を強く握った。

 

 汽車が出るまで、金さんは改札口にじっと立っていてくれた。精神的ODAと物質的逆ODAを受けた満足感で車中の人となったが、当然に立席承知券のこと座る席も無く、居心地のよい場所を見付けて、新聞紙を広げて4時間の旅行に備える。昨日と今日、さすがに疲れもあり、すぐにウツラウツラとしてしまったが、鮭の顔が脳裏を掠め、それは浅い眠りであった。台湾には塩鮭、いわゆる荒巻鮭が無く、あの味が忘れられない、と言っていた金さんの言葉が印象的でだった。

 

 いままでの東海岸のおおらかな広がりとは一変して、丁度、親不知のような荒荒しい地形になり、トンネルの数の多さに景色がとぎれとぎれになり疲れを覚えてしまう区間であった。

 

 台北駅には定刻に到着であったが、終点まで行くよりは、ホテルまでの距離が近い、一つ手前の駅で下車したが、右も左も分からなくなり、結局、メモ作戦でスコールの降り始めた台北北駅を後にして、路線バスに飛び乗った。

 

 ホテルのカウンターで鍵を受取り、部屋へ。同室の友は散歩に行っている旨のメモを置いていてくれた。あー疲れた。まさしく、バタン、キューの世界である。

 

 夕食はバスでまたまた連れていって頂くパターンで、台湾料理のお店であった。最後の夜であるからして、お次は2次会へと進むが、綺麗なべべ着て、日本語が流暢なネーチャンがいるカラオケスナック。わし、あきませんねん。このパターン。          なぜか、脳構造はこの場所から遊離してしまい、マイクはしっかり握って谷村新司の群青を歌っているが、心は東海岸のたおやかな海岸線や高雄の公園出見た太極拳の方へトリップをしているのである。このスナック街は曽根崎新地や銀座などと同じく、日本の商社マンが日常的に利用しているエリヤであって、随分と繁盛しているとのことである。

 いま日本経済はバルブの崩壊に陥っている。経済は一流、政治は三流と言われていた日本であったが、実は一流のはずであった経済が三流であり、その三流経済が三流政治に強い期待を寄せているだけなのだ。三流政治に有効な崩壊阻止の手が打てるわけが無い。いすれこの国、台湾でも影響を受けるであろう。事実、タイではかなりの影響が出ているそうな。

 

 でも、そんなこととは関係なく、いつも思い出すのは庶民の強かな生活。自強号の車掌さんは今日も切符の拝見を、黄さんは汗を拭き拭きバスの手配を、華僑のおばさんは麺を練り、金さんは麦藁帽子を着てパチンコをしているかな。そんなことを思いながら、最後の蛇スープの一滴を商店街の屋台で飲み干し、ホテルのベッドに潜り込んだ。

 

 

7月11日(土)

 飛行場までの道程は来たときと同じように、よく混んでいた。

 途中、最終強制お土産買付け立寄りショップに連れていかれ、時間潰しをさせられる。パックツアーの最終日はこうしてつぶれるのだ。店に角にある休憩所で烏龍茶を飲みながら文庫本を読む。

 

 入国時と同じように、やる気の無い出国手続きを受け、世界一安全だと言われている゙ャン゙ーイン゙に搭乗する。せやけど、誰が世界で2番目に安全な飛行機です、なんて言う?そ れにしても、゙ル゙ッキの飛行機に乗るのは初めてで、しかも私の席は2階。

 

 隣に座った同僚が、やっぱり2階席は見晴らしがええわー、と言う。

 せやけど、飛んだらいっしょやで、ともう一人が。

 なるほどなー、と私。

 大阪空港にはビール2本とワイン1本のお腹で到着。入国手続きに入る頃には、私のショルダーバックは、機内でお譲りいただいた羽枕でぽんぽんになり、税関でもし聞かれたらどない言うたらええかいな、と頭を巡らせる。幸いに用意した1次質問、2次質問の使わずに、到着ロビーへ。

 

 それにしても長い3泊4日の旅でした。

 12000円が残っている財布から、190円を出して、阪急バスへ。

 

 はよ家に帰って、この羽根枕でもう一度、ええ夢見よーと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【あとがき】

 

 今年の夏はことのほか熱帯夜が続き、マジカルミステリーツアーも回を重ねる度に文章がパターン化されてしまい、それに対する葛藤・悶絶・焦燥が、安売屋で買った156円のカールスバーグビールの消費量を促進することになった。

 秋の顔がチラッと見え隠れするころ、ワープロのキーを打つスピードがやっとこさ元にもどったが、今回の台湾編は我が山岳会の会報誌に掲載される性格のものでは無く、プライベート・エッセイの類で、躊躇という言葉が執筆中には絶えず去来していたのですが・・・。

 たまにはエエでしょう。こんなもんで。

 

                       1992・9・20

                           Y・ISHIDA

 

 

 

 

 

              雅楽多文庫

 

   タイワン・マジカル・ミステリー・ツアー

               1992・7・8〜11

 

 

                 著 者   石田 義久

                 発行所   NECワープロ

                 印刷所   フジ・ゼロックス

 

 

 (雅楽多文庫既刊案内)

 

 *アラスカ・マッキンリー登頂記                   廃版

 *ネパール・ヒマラヤ・マジカル・ミステリーツアー    bP    絶版

 *ネパール・ヒマラヤ・マジカル・ミステリーツアー    bQ    絶版 

 *インド・マジカル・ミステリー・ツアー               絶版

 *タイ・シンガポール・ミステリーツアー               絶版

 *チャイナ・マジカル・ミステリー・ツアー        bP  原版紛失

 *チャイナ・マジカル・ミステリー・ツアー        bQ 好評増版中 

 *コリヤ・マジカル・ミステリー・ツアー  付録付き      好評増版中 

 *ゴールデンウイーク・マジカル・ミステリー・ツアー   

         いん・JAPN 激走3000`        好評増版中