これまでのざっとした経緯   
                                           (更新しているのは下のほうですよ)

2003年7月
首の右側に「うずら卵」位の脂肪瘤かなと思える塊ができる

逆瀬川駅前の耳鼻咽喉科にて、喉も診ずに「特段に問題なし、様子を見ましょう」との診断
再度、家の近くの内科で診察を受ける。
「扁桃腺に変化有り、大きな病院へ行くように」との指示を受ける


8月   
関西ろうさい病院・耳鼻咽喉科にて診察を受ける。
扁桃腺は既にザクロ状の様相を呈していた。
病名は原発性中咽頭・扁平上皮癌でステージは最終のWの宣告を受ける。

同月に入院し、放射線治療を開始。
25回の照射線照射を受け、最終時点では
7割方の縮小効果が出た。
引き続きの放射線治療は可能であったが、残された許容回数の10回では消えないと判断された。

結果
残された方法は手術のみとなるが、後遺症等を含め非常に困難であるとの説明を受け躊躇したが、このままでは余命六ヶ月であるとの宣告があった。
なお上記判断は、放射線治療最終回を待たずに撮影したフィルムで行われたものである。


10月
手術への決断が付かないままに時間が過ぎたが、腫瘍は日々に小さくなっており、再度、撮影を要請。結果、MRIでは腫瘍確認できず、CTでは非常に小さなものとして写った。

11月
主治医触診の結果、彼は、コンプリート・レスポンスと呟き、9月の治療方針を翻し、残り10回の駄目押し放射線治療が再度提案された。
@      追加照射による体へのダメージ
A      腫瘍が更に小さくなっていっている実感が継続していた
B       主治医、放射線医とのギクシャク感とその間に挟まれた私の不信感
                                   以上の理由で追加治療を断る

12月〜
月に一度の定期検診を受ける(触診のみ)


2004年 4月
月に一度の定期検診で再びリンパ節にしこりが出来たことを確認
CT,MRIで腫れを確認するも、本格的な診察は予約の関係で6月にずれ込んだ。

6月
治療は手術しかないが、
困難で、入院しても退院の可能性が無い場合があると告げられる。
このままでは余命2ヶ月である、との再宣告あり

どないせいというのや!
それなら、なぜ4月の時点に詳細に診察をしないんだ!

他の医療機関、治療方法を模索する。
大阪・東淀川の医誠会病院にて免疫治療の可能性を聞く

7月
主治医の武田ドクターより、免疫化学療法をやってみようとの言葉あり。
人工透析機により血液から攻撃白血球を取り出し、人工培養を経て再び体内へもどし、癌細胞を攻撃するというストーリーの治療である。

治療は3クールを行う難点は保険医療対象外で高額であり、1クール約100万円で総額300万円近い費用となる可能性がある。

8月
医誠会病院へ検査入院
抗がん剤(タキソテール)の投与を受けるも副作用かなり強い

9月
ピンポイント放射線治療を10回、患部側のみ受ける
頸部腫瘍部分は8月より盛り上がりを見せていたが、膿が出始める

10月
職場復帰。ソラマメ大の腫瘍水泡が出来たり、排膿したりを繰り返す


11月
抗がん剤の副作用が頻繁に出る
ピシバニール(免疫力を集める注射)を頸部へ打ち始める

12月
患部の腫れが大きくなり仕事もそろそろ限界。
ピシバニール注射を中止。抗がん剤(タキソールに変更)のみとする。
                                              ここまでの詳細は⇒

        2005年
 

1月1日
間違いなく2005年に変わった。

大晦日からの雪は六甲山に20センチほどの積雪をもたらした。
気持ちは3時頃から起きている。
妻も起きているようだ。

4時。
「六甲山へ初日の出拝みに行こか?」
「ええよ」
こういうことは直ぐに決まる我が家である。
車は快調に雪の山道を駆け上がってくれた。
生憎、ご来光は拝めなかったが、今年もこんな乗りで過ごしてゆきたい。

1月2日
年末から飲み始めた痛み止めのロキソニンはよく効いてくれ、腫瘍表面上のやけどのよう      な痛みを緩和してくれている。

ぽかぽか陽気。
箕面までバイクで走り初め。

1月3日
いつもの舞鶴、小浜方面へ車でドライブ。

雪が無くてがっかり。
ほんまに俺はがん患者なんだろうか?

1月6日
腫瘍部分からの排膿は最大量になる。
一日に8回ぐらいのガーゼ交換。
毎回、ガーゼは絞れば滴るぐらいにボトボトの状態

1月8日
医誠会病院にて抗がん剤の点滴

白血球は6,400もあり!
超正常値ではあるが、腫瘍マーカーも上がっている。
結局、闘うために増えているんだろうか・・・
頑張ってくれよ。
次の目標は3月の誕生日なんやで。

1月10日
気分がいいので二年振り?で六甲山へ

いつものショート・カット・ルートを選んで歩き始めるが、空気が乾燥していて、唾液不足 の咽がもたない。
結局、1時間ほどでダウン。


昼からは家でおとなしくしていたが、お約束の悪寒と発熱が・・・・
2時間で収まる

1月17日
医誠会病院にて抗がん剤(タキソール)点滴

当夜は痛み止めの服用はしなくても就寝が可

1月21日
一日一錠のロキソニン(痛み止め)、ガーゼ交換数回、就寝時の寝汗、便秘の日々は12月から変わらず


1月22〜24日
気分転換で久しぶりに関空へ。

やっぱり、パスポートを持つとうきうきします。
行き先は中国のアモイ。
行き先は兎も角として、こうして旅に出られることが嬉しい。

あれほど続いていた寝汗が旅行中は止まる。
なにか、精神的なものが作用しているんだろうか?

1月25日
日々の作業は変わらず。

旅から帰って我が家で寝たとたん、またまた寝汗地獄。
どないなっとんねん!

現在の腫瘍の大きさは、SSサイズ卵を長辺方向切りをし、紅芋風の色合いを付け、形をオーストラリア、エアーズ・ロックの形に変形させ、噴火口を10個所ほど付けて、左耳下に貼り付けたようになっている。

もっとリアルに認識するならば下記アドレス(EU諸国で販売するタバコパッケージにつけられる写真の内の一部)に掲載されている咽頭癌の写真が近い感じがする
(気の弱い方は見ない方がいいかも・・・)
      
   http://europa.eu.int/comm/mediatheque/photo/select/tabac/p-010904-00-17.jpg

こんな雰囲気の塊が耳の下にへばりついてるんです。
瘤取りじいさんみたい、なんて言ってる場合ではおまへん。

しかも、これは表面上の話であって、その基礎となっている部分は見えない。少なくとも、咽のダクト部分への圧迫は今のところは無いので精神的にはかろうじて平常心を保っているのだが・・・

1月29日
医誠会病院にて採血、抗がん剤(タキソール点滴)
白血球はさらに上昇して8,600になる
この数字は何じゃろか。

正常値の範囲ではあるが、アッパーの9,000まではもうすぐ
何かと闘っているんだろうな。

Mドクターと小一時間に渡って、リンパ節の触診も含めて診察して頂く。
併せて今後の治療方針の検討,等々。
3分診療が云々される昨今、このようにじっくりと向き合って診察して頂けるのは有難い。
精神的に非常に安定する要素のひとつになる。

阪大病院でのMT1ペプチド治療という新しいワクチン治療に関して、血液のタイプ検査をしていたが、なんと適合率50確率であったが、両方のタイプを持っていることが判明。両親に感謝しなければ。
今後は、更にその新しい治療に関してこのがん細胞が適合するかをチェックしてもらうことにする。


点滴は2時過ぎに終了。
昼食も摂らずに付き合ってくださるI看護婦さんにも感謝

帰りは梅田・中崎町でお約束の好物・カレーうどん。
あー、安心の土曜日だ。
不思議なもんです。
抗がん剤を入れると結構精神的に安定するんです。

あれほど続いた寝汗が止まった。
Mドクターは俺に催眠療法でもしたのかいな。


1月30日
朝起きると、今まであった腫瘍の下に同じぐらいの瘤が出来始めた。

腫れの痛みが強い。
夕刻にはその瘤がブヨブヨした壊死状態になってきているようだ。
神経に障る、キリキリとした痛みが絶えず周辺に走る

1月31日
もとあった腫瘍と一体になりつつある。

土曜日の抗がん剤の影響で反応しているのだろうか。
痛み止めのロキソニンが6時間ぐらいしか効かない。
会社は早退する。
就寝時の排膿は相変わらず多量
ガーゼとの間に挟んでいるティッシュはボトボトになる。


新たな展開の始まりかもしれないが、少なくとも1月もこうして月末を迎えることができた。

首は痛いけど、好きなバイクで通勤してるもんね。

2005年へ年は変わり、1月も過ぎ、2月も無事に終えることが出来ました。
真っ先に感謝するのは妻。

段々と我ままになって来ているのはわかるのだが、痛みと咽への圧迫感は恐怖であり、それが冷静で無い態度となって表れてきてしまいます。

2月1日
土曜日に抗がん剤の点滴を受けて、いつもの火曜日の悪寒が始まる。

二時間程度で収まるのだが・・・

2月2日
表面の腫瘍部分は下部の方も膨らんできて、水泡状で約二倍の大きさになった。

2月3日
宝塚ベトナム友好協会の遅まきながらの新年会。
皆とわいわいおしゃべりができることは本当に幸せです


2月7日
ガーゼ交換(日に6回ぐらい)の際の出血がひどくなる


2月8日
ガーゼ交換の際に血が30センチぐらいの噴水で噴出した。
流石に救急車を呼ぼうかなと考える。
腫瘍の中の血管が破れたのだろう。5分ぐらいの強い止血でなんとか止まった。
知らない人が朝のガーゼ交換を見たら殺人現場とみまちがうのでは・・・

2月9日
出血は何とか止まったようだが、精神的には来る時がきたのかな?の気持ちになってしまう。
ここんところは一日2回の痛み止めのロキソニン錠が欠かせない。

2月12日
医誠会病院にて抗がん剤の点滴


2月13日
気持ちのいい朝だ。
久しぶりに2時間ほどの散歩に出る。
下部の水泡状の膨らみからは黄色い膿がどんどん出始める。

2月14日
風邪を引いたのだろうか、咽が痛いし、圧迫感を覚える。


2月19日
医誠会病院にて免疫力を上げるレシチン点滴を受ける
夜行バスで高知へ

2月20日
学生時代の山岳部の先輩が亡くなられたのでご仏前に向かう。

先輩も同じく癌であった。
先輩の分まで少しは長く生かせてね、と手を合わせた。
午前中で南国市の方をお暇して、昼からは香川県の琴平町へJRで向かう。
義理の従兄弟の葬儀に参列。
私と同年齢、昨年12月にドイツで亡くなられて、今日の葬儀となったのだが、彼は癌ではなかった。

人の死というのは大きな時の流れの中で粛々と展開されているのだなー,というのが実感であった。

2月21日
行動でちょっと無理がたたったのか、顔がパンパンに腫れ、腫瘍部分も同じく盛り上がりヘルメットが被れない。しゃーない、徒歩通勤じゃ!

2月22日
咽の圧迫感を益々感じる。

これは恐怖だ!

2月26日
医誠会病院にて、タキソール抗がん剤の点滴と腹部への転移の有無を調べるためにエコー検査を受けるも、異常無しで、ほ!

2月28日
がん細胞は意外や43度くらいで死んでいく。
うまく腫瘍にその熱を加えてやれば癌を退治しますよ、という理論がある。このストーリーを治療に取り入れているのが温熱療法というものだ。治療の主役にはならないが、温存や疼痛を排除する効果は認められている。
そんな治療を求めて貝塚市のN病院を訪ねる。
主任の先生はロシア人の美人女医さんだった。

皮膚の潰瘍は気になるところであるが、腫瘍が浅いところにあるのでなんらかの効果は期待できる、ということで3月より治療を始めてもらうことになった。

また、少し可能性の間口が広がった。
いま、私が持っている可能性は阪大病院で検討をしてもらっている手術とWT1ワクチンと今回の温熱療法である。

さー、三月は二月より3日も多いけど頑張ろう!

ついに3月に入った。
もうすぐ春だと思うと、気力が体中に沸いてくるような気分になる。

3月2〜5日
安いチケットがあったので気分転換にバンコクに向かう。
勝手知ったるバンコクの町に入ったとたん、体と気持ちがどんどんほぐれ、それとともに顔の腫れも引き、夜の寝汗が止まる。
なんじゃこれ!
でも、一日二錠の痛み止めは離せない。

37
午前・医誠会病院にて抗がん剤・タキソールを90rに増量して点滴。阪大で検討をしてもらったいた手術は矢張り難しいとのこと。

午後 貝塚市の西出病院にて温熱治療に向かう。
癌の売れっ子スターのスケジュールですわ!


さて、温熱療法なんですが、照射準備で腫瘍部分のガーゼを取ったところ、皮が少しはがれて出血が軽くありました。ロシア人女医のオスタペンコ先生は、大阪弁で「これはちょっとやばいんとちゃうか」と叫び、スタッフが集まって再検討。
結局、照射中に出血の可能性あり、ということで中止となった。
トホホ・・・

実は私自身もかなり不安だったので、この決断は正しかったと思う。

39
7日の抗がん剤投与の副作用でガーゼ内出血大、耳が腫れでつーん、顔、首パンパン状態となる。
勿論に仕事はお休み。

3月10日
すっきりとした朝を迎える。
出るものが出たと言う感じ。


3月11日
待ちに待った、本当に待ちに待った、誕生日である。

56歳のこの日、これほど生きている喜びを感じた朝はなかった。

3月12日
医誠会病院にてタキソール90rの点滴

ガーゼ交換の再の出血を押さえるために、プロスタディン軟膏をトライ


3月13日
抗がん剤の影響で顔が火照る。
患部に差し込むようなキリキリは減少


3月14日
誕生日を迎えたことの自信と春に向かっている喜びとで体力・気力の充実は日毎に増してゆく。誕生日毎の歯の点検に向かったのもそんな訳だった。あんた後二ヶ月でっせ、と言われて歯の治療には行かんもんね。


この週は手帖になにも書いていない。痛み止めも飲んでいない。
すごいぞー


3月19日
3回の抗がん剤が終わったので、白血球をコントロールするレンシチンという薬の点滴を医誠会病院で受ける

午後からは何ヶ月ぶりだろうか波賀町の別荘に泊りがけのお出かけ
友人が名前入りのバースデイケーキを届けてくれた。(涙)

3月21日
午前中は車のタイヤ交換。

いやー、元気です。
でもね、恐れていた花粉症がスタート。

癌と花粉症、えらい組み合わせや!
でも、特段に手帖には記述の無い日々が続く。


3月26日
53年前に別れた実母と二人で有馬温泉へ一泊旅行。

涙と笑いの一晩。話の花が一杯に咲く。
生きていりゃこそこの時間を持てたことに感謝。

3月28日
医誠会病院にて採血と抗がん剤90rの点滴を受ける。

白血球の数はなんと
6,400

3月29日
仕事中に顔の火照り感が出始める。

夕刻より副作用の悪寒
,発熱,汗の3点セットで攻撃が始まる

3月30日
朝はすっきりした感じで起床が出来たが、一日中、ガーゼ内の出血は多かった。
よっしゃよっしゃ抗がん剤が利いてるぞーって張り切ったが、夕刻よりまたまた悪寒でダウン。

3月31日
抗がん剤を入れると便秘気味になるので、昨夜、便秘の薬を飲んだ。
明け方に利いてきた。
トイレに入ってキバッタとたん出てきたのはなんと・・・腫瘍部分からのうっ血した血。
あっという間にトイレの床とパジャマが血だらけ。
流石にこれには参った。
血管からの出血ではなかったのでほっとしたが、夜明けのこの光景は鬼気に迫るものが・・・
首からうんこが出てきたら笑いに迫るものが・・・・

腫瘍部分のあちこちから膿混じりの液体がどんどんと出ている。
ガーゼ交換は3時間置きぐらい。
腫瘍も高さが1月に比して1/3ぐらいになり、何箇所かあったクレーターが合体してきている。
この神秘なる人体ショーは最後まで見届けねば・・・

さー4月も頑張りまっせ!
               
4月2日
病院にて抗がん剤・タキソールを90ミリ点滴,あわせて漢方薬もスタート。

4月3日
朝起きると、顔が火照っている。

4月5日
毎年、誕生日が来ると歯医者に行って定期点検をすることにしている。
流石に余命宣告を受けると精神的には歯の手入れどころではなくなるものだ。
でも今年は昨年のパニック状態からはなんとか抜け出して、精神的にかなり安定をしてきたのだろう、この日に歯医者を予約していた。
点検の結果、唾液の出が少ないので虫歯になりつつある歯を多く発見された。

4月5日
抗がん剤でまたまた軽い便秘になっていた。
薬が夜中に利いてトイレへ。
キバッタとたんにまたまた頸部より出血・・・・予想はしていたが、やっぱり恐怖。

4月7日
病院にて免疫力を上げるレンチナンなる薬の点滴。
ここんところ痛み止めのロキソニンは一日1錠のペースに落ちている。

4月9日
体調もよく、何ヶ月振りかの朝の散歩。
昼前に病院にて抗がん剤・タキソールの点滴90ミリを受ける。

4月11〜15日
抗がん剤による顔の火照り、3時間置きのガーゼ交換等で出勤は精神的に限界になってくる。

4月16日
免疫力を上げるレンチナンの点滴を受ける。

4月18〜22日
頸部腫瘍部分からの排液が多量になり、ガーゼ交換は二時間置きとなる。
夜中のガーゼ交換で寝不足の日が続く。

22日で仕事は休職に入る。
職場の皆さんご迷惑をおかけしました。

4月23日
病院にて抗がん剤・タキソール90ミリの点滴

4月24日
午後より三朝温泉へ温泉療養に一人向かうも、顔がパンパンに腫れ始める。

4月25日
JR線の転覆事故、つくづく人の運命は神のみぞ知るなんだと思ってしまう。
顔の腫れは依然続き、口が左の方へ寄ってきた。
これじゃヒラメでんがな!

右耳下が大きく腫れているようだ。
口が満足に開けられない。
夕食に出されるフルコースを眺めるばかりであった。

21時、妻が心配をして友人の車で駆けつける。
痛み止めのロキソニンは3錠/日に増える。

4月26日
5月連休明けより再度来るので、念のために緊急時の受け入れ病院探しをする。
結局、隣町の倉吉市にある鳥取県立病院の耳鼻科で受け入れの承諾はもらうが、毎週の抗がん剤の点滴は拒否された。
午後、自宅に戻る。

4月27日
腫れは少しだけ引くも、食事は困難。
食べたものがどんどん歯ぐきの間に詰まって行き、溢れたものは腫れている左側の口からこぼれ落ちてくる。
食後のうがいクチュクチュでは唇が合わさっていないので左側からどんどん飛び出ていく。
俺の顔、どないなってんの?
ひょっとこでんがな。

4月28日
病院にて抗がん剤タキソールの点滴90ミリ。
Mドクターと相談。今使っているタキソールはがん細胞が学習をして、効かなくなっている可能性がある。
他の抗がん剤の検討が必要であるとの提案あり。

ある意味ではより強い抗がん剤という意味であり、副作用も覚悟した中での治療となる。
化学療法については妻は大変に抵抗を持っているのだ、事はここまで迫って来ている。
私にとっては医者を信頼してついていくことで気持ちは決まっていた。

結局、連休明けより入院をしての治療を受けることにする。
副作用、白血球の減少、感染等を考慮してのことだ。
新しい抗がん剤はアクプラというのを使用し、あわせてサリドマイドを服用するという治療である。

抗がん剤の種類はさておき、サリドマイドというのは・・・・ひょっとして・・・あれ?
そうです。
現在日本では、奇形児出産の事故以来、製造は行われていないのだが、諸外国では妊婦への危険性は認識しつつ、抗癌作用ありということで使用がされているとの説明を受ける。

私もこの件はどこかで聞いたことがあったのだが・・・・
ま、俺は妊娠する可能性は無いしね。(あたりまえやがな)

なんやかんやしてるうちに4月も終わった。
後半は弱気になっている自分がよく見える。
寝ているとボロボロと涙がこぼれてくる。
妻になんどもごめんなって言ってしまう。

30日のゴールデン・タイム、NHK・TVで日本の癌治療の現状特集をしていた。
2時間ほどの番組であった。

治療の押し付け→打つ手が無い→癌難民。
医師が悪いのではない、システムが悪いのだ。
がん治療を国家プロジェクトとして取り組まない国家に問題がある。
この構図が全国のいたるところで展開されている癌治療後進国日本

二年前、私も同じ道を歩んだ。
アメリカではここ4,5年で癌死亡率は下降線を示しているのに、わが国では上昇一方である。

専門医が足りない。
病院の外来の医者はクタクタになっている。
最初にお世話になった病院の耳鼻咽喉科の先生もしかりであった。
中耳炎も扁桃腺も蓄膿も咽頭癌もいっしょくたの世界である。
外来を見て、その合間に手術をして、入院患者の回診・・・・頭が下がるおもいであった。

でも、がん患者にとっては満足のいく情報も得られないままの治療であった。
昨年からお世話になっている、ここ医誠会病院では腫瘍内科の専門チームとまではいかないが、少なくともがん患者を対象とした専門の医療を集中的に考えてくれていると私は認識している。

前の病院と満足度は大違いである。
ここの治療室に入ったのは昨年の7月である。
前の病院で、あんた後二ヶ月しかもたんよ、って言われて癌難民となった翌月のことであった。
あれからもう10ヶ月もたってるんや。

妻に感謝。
スタッフの皆さんありがとう。
                  

5月1日
昨日の抗がん剤の勢だろうか、再び顔の右半分が腫れはじめる

連休明けの入院に備えて、存分に遊んでやろうってことで、好天気が続いたこともあって、無理やりヘルメットをかぶって日帰りツーリング三昧の日を送る。

5月9日
入院の用意をして医誠会病院に行く。
ベッドも決まり、身の回りの品をほぼ気に入った場所に並べた。
4月から来られた腫瘍に詳しい耳鼻咽喉科の先生の診察が念の為にあるということで診察室へ・・・

結論から言うと、治療をしない方が延命できるよ、っていう世界であった。
今日から予定していたアクプラという抗がん剤は効くらしい。
しかし、効くことによって腫瘍が急激に縮小すると、巻き込んでいる頸部血管を破裂させる危険性がある。
今の私の腫瘍の状況は正にその危険度が限りなく高いとのことであった。

ならば、入院してもしゃーないな、ということで再び荷物をまとめて家に帰る。

2003年7月には、余命六ヶ月。
2004年7月には、余命二ヶ月。
2005年5月には、余命無し。
を仰せつかった。
三度目の正直。こんどは「いつ血管が破裂してもおかしくないよ」の世界になってしまった。

腹は括っているもののほとんど眠れない日が続く。

5月12日
医誠会病院にて、主、副治医を交えて今後の治療を検討。
アクティブな治療はリスクが高いので、延命に主眼を置いた消極的な抗がん剤治療をすることで合意。
ある意味では気休めなんだけど・・・。

昨年に投与したことがあるタキソテール40ミリを点滴。
さらに、サリドマイド錠の服用を始める。
サリドマイドといえば、過去に睡眠薬として使用した妊婦さんが奇形児を出産した事件があった。
現在、欧米各国では抗癌作用(新生血管の増殖抑制作用)あり、ということで投与されている。
日本では、あの事件以来販売禁止となっているので、医者を通じてアメリカからの輸入できるのである。

5月13日
顔の腫れが更に大きくなる

5月14〜15日
浸透液の排出が多くなって来た。
小さな出血も始まった。
顔の腫れと連動しているのだろう。

5月16日
体調は良く、散歩は1〜2時間を毎日しているが、昼のガーゼの交換で今までにない出血があった。
鏡で暫く見てていたが、テーブルが血の海になり、流石に手が震えてきた。
そろそろ、救急車のお世話にならにゃしゃないなー、ということで119に電話をする。

落ち着いているつもりだけど、住所は間違えて喋っていた。

出血量は150CC位だろうか。
救急車が到着した頃には幸い血は止まっていた。宝塚市民病院も病気の経過がわからないのでお受けできませんとの返答だったので、結局、暫く様子を見ますということで救急車を降りた。

出血の量もさることながら、市民病院の対応もショックであった。
5年前、妻がくも膜下出血をした時もそうだった。
事故で指を落とした人に対しても、怪我の経過が判りませんからお受けできません、って言うのだろうな、ここの病院は。
私は市の職員なだけになんとも複雑な心境で、一般市民も同じような対応をされているのかと思うと、JR西日本の事故現場放棄職員の運転手君の姿とオーバーラップするのであった。

5月17日
サリドマイド錠の副作用で朝の倦怠感が出始める。
昼のガーゼ交換でまたまた、50CCほどの出血があった。
昨日の血の海状態の教訓から風呂桶を用意してのガーゼ交換であるが、大正解であった。
出血の後は腫れの部分も心なしかすっきりとする。

頻繁なガーゼ交換を見かねた妻の発案で、生理用ナプキンを使用。これはえらいヒットでなかなか具合がよろしい。究極の姿やけど、股に首は、いやいや背に腹は換えられません。

5月18日
昼のガーゼ交換で昨日と同量の出血であったが、桶を見ると血の中にフィルムケース一杯分の生レバー状の物体があった。指で掴む事が出来る。ナンじゃこれ!

いつの間に出てきたんだろう。
ま、東洋医学で言うところの、悪血やね。
がん細胞の死骸やったら万歳やけどね。

5月19日
腹は括っているものの恐怖心で睡眠不足が続いている。
医誠会病院にて白血球の検査。→6600で絶好調である。

5月20日
大阪・福島の有名な漢方医の所で薬を処方してもらう。
とにかく、体の血をさらさらにして体内の不要物を排出する配合の煎じ薬をもらう。
保険対応なので、うさんくさい医者ではないだろう。

今回はとにかく妻が、次々と治療方法を見つけてきてくれる。
彼女のパワーには頭が下がる思いである。
ここまで来たら何でもやって見なくちゃ、の世界である。

5月21日
昨日より、夕刻から微熱が続く。

五木寛之のエッセイ集「風の言葉」を読み始めて一週間ほどになる。
800頁、ぎっしり活字であるが、不思議と活字に専念できる。
というよりも、活字に目をやっていると雑念がはいらなくて楽なだけだろうか。

人はおぎゃーと生まれた時から死に向かって歩み始める。
この本では何度も何度もこのフレーズが出てくるが、否定するものではない。
例え一日でも家族の為、支えてくれている人たちのために長生きをする努力も必要だが、神が与えた運命、宿命のようなものも認識しなければ、今を乗り越えていかれないことも事実だ。

5月23日
気持ちのいい朝を迎えた。
サリドマイドの一番の副作用、便秘が始まった。便秘薬を飲んでいても、二日間、ウンともスンとも反応がない。
これはヤバイ!っていうことで浣腸。事なきを得る。とにかく今はキバルことが出来ませんから。

5月25日
よく言われるのがJR事故。一寸先は闇や、みんな一緒やで、と。
そうゆう意味では、末期宣言を受けた患者も健常者も同じステージである。
しかし、精神的にはまったく異なる世界にいるのがわかる。
どちらかというと死刑執行を待つ囚人に近いのでは。
助かる道は、革命でも起きた時の特別恩赦か、片や奇跡の腫瘍細胞の退縮である。

さ、その奇跡を信じて今日も生きるとするか。

5月27日
もしもこの世にメールなるものがなかりせしならば。
今の孤独に耐えられるだろうか。
毎日、誰からか声援のメールが送られてくる。
勿論、海外からもだ。
今の私にとっては大変に有難いことであり、大いに勇気付けられる。

体調まずまず。朝の散歩が出来た!
出血はなりを潜めている。
排出液は依然多量。

5月31日
月末だー!
5月をクリアーしたぞー!
ここ3日間は便秘以外は変調もなく、朝の散歩をこなし、テラスのペンキ塗りなんぞまでする位いに気力がついて来た。
喉の圧迫感もかなり改善され、食事が格段に楽しくなった。

一つ気になるのは飛蚊症と言われる症状である。
多分、サリドマイドによる網膜血管への影響だろう。
絶えず4匹ほどの蚊が網膜内をうろうろうろ。本を読んでいても気になることこの上ない。
まつ毛に蚊取り線香ぶら下げとかなしゃーないな。



6月17日
昨日は市内の第一病院・脳科のKドクターに緊急時の受け入れということで診察をしてもらった。
4年前、妻がくも幕下出血で緊急入院をした時に執刀してくださったドクターで、先日、妻の定期健診の折に実情を話したところ、私が見てあげようということになった。

傷口を見せた時Kドクターは絶句!
誰がガーゼ交換してるの?・・・・
であった。
そのうちに外科部長も集まってきて、入院云々の言葉さえ飛び交うようになった。

やれやれ、ちょっと交通整理をせねば。

17日は親父の月命日。
天気がいいので三田の墓までバイクで行く。
行きの花屋で買ったアジサイの花が黒石の墓に良く似合った。
ここで祈る言葉は唯一つ、親父まだ呼ぶなよ。

6月18日
医誠会病院にて5月12日以来の抗がん剤、タキソテール40ミリを点滴。
いつものことで夕刻より微熱が出始める。

6月19日
いつもの倦怠感が襲って一日中ごろごろ

6月20日
第一病院でCT撮影の予定であったが、引き続きの倦怠感でキャンセル。

6月21日
便秘でまたまた浣腸さんのお世話になる。
顔の腫れは若干引いて来た模様。
ガーゼ交換時の出血は少しあり。
これは想定内である。

6月22日
顔の腫れが引いてきたので散歩に出かける。
ふむふむ。

6月23日
中出血あり。
今回はあわてずに机の下に常備したトレイをさっと出して受け止めた。
ぼっとんぼっとん、といった感じの出血で、今回もあっという間に血液は生レバー状に固まってしまった。

ここんところの猛暑の加減であろうか、排出液の匂いがきつくなってきた。
ちょっと人ごみの中ではブーイングやね。

6月24日
出血の勢だろうか、すっきりとした朝を迎え、さーお散歩だ。
宝塚第一病院にて傷口の消毒。
ガーゼは自分で持参した生理用ナプキンにガーゼを張ったもの。
どんな患者や!

ドクターに生レバー状の血の話をして、「先生、いわゆる悪血って言う奴ですかね?」と聞くと「血に種類はありません」と返事があった。

漢方の医者と会話をさせてみたいです。はい。

6月25日
医誠会病院にて診察。
5月に主治医のTドクターが辞職され、6月にはサブのMドクターが大学病院に戻られる。
そんな動きの中、今日は最後の診察ということで、ちょっと気が重たかった。
昨年の同時期にこの病院に転がり込んで来て、早1年が過ぎた。
経過を良く知ってもらっているドクターから離れて、又一から病院を捜すのは精神的に疲れるものだ。

しかし、結果は吉と出た。
Tドクターが変わられた医院に週一度Mドクターが行かれることになり、そこで引き続き見ましょう、ということになった。心遣い感謝感激。
いやー一つ肩の荷が降りました。

医誠会病院の免疫センターのスタッフの皆さんありがとう御座いました。
また、出入り橋のきんつば(これ知ってる?)持って遊びに行きますからね。

散髪は経済的理由ではなく、早くやってくれるという理由でいつも大衆理容に行っている。
ただ、行く度に、「ご主人どないしはりましてん?」と聞かれる。
何べん聞いたら覚えるんや!
ということで、ミドリ電化でバリカンを買ってきた。
ガレージで妻に刈ってもらう。
今のバリカンはうまく出来ており、少々まちがっても虎刈りにはならないようになっているんだ。
3回してもらったら元とれるわ、なんて思っていたら、妻から500円請求された。

6月27日
膿が更に少なくなってきたが、侵出液は相変わらずだ。

6月29日
右耳たぶ下の部分が盛り上がってきた。
聴覚はまったく機能していない。
深夜のシーンとした音?が聞こえるのみである。
夕刻、発熱。 こんだけ猛暑が続いたら熱も出るわな。

6月30日
緊急時受入病院の宝塚第一病院にてCT撮影。
いやな造影剤も丁寧に吐き気止めを入れながらの注入であったのでまったく違和感はなかった。
また、撮影後すぐの写真判定で、脳外科Kドクターの見解では癌腫瘍は頚動脈を巻き込んでいない、動脈はくっきりと正常な断面形で映っているよ、であった。

さらに、外科のMドクターも紹介をしてもらい、傷口のメンテについて指導をしてもらう。
彼曰く、傷口はシャワーで洗ってください。    え!
ですから、ガーゼ交換毎のアルコール消毒は皮膚に良くないから、水道水で良く洗ってください。   え!
あんた宝塚市の水道水飲んでるでしょう。    はい。
その水でええんよ。どんどん膿だけ洗いながして。感染したら抗生物質上げるから。     はい。
外科の世界は豪快である。

造影剤を入れた後は、どんどん水分を取ってね、のサゼスッチョンがあったのでレモンテーを2本買って会計を待つ。今日の診察料9,100円。いやー、財布には105円残っただけや!

ま、悪い結果ではなかったので久し振りに足取りも軽く、駐車場に向かう。
さー車を出そう。待てよ・・・・ここの駐車場は有料や。
おばちゃん、なんぼ?
200円。
しもたー、レモンティー一本にしといたらよかった。
おばちゃん、105円しかないねん。(56才のおっさんが言うことか・・・・)
しゃない、100円にしといたげるわ。

気持ちの良い一日であった。

7月1日
朝からしっとりと雨が降っている。
湿度はあるが有難いお湿りだ。
7月に入った。
なにも言うことは無い。

7月2日
耳は泳いだ時に水が入ったような状態であり、なんやら出始める。
耳がポンポンに腫れて来たのでなんかは出てくるやろな、とは思っていたのですが・・・・
膿状の物であるが匂いは無い。
でも、中耳炎のような痛さで終日痛みつけられる。

7月3日
たっぷりと1時間ほどかかる夕食を終えた後の風呂。
一番の喜びの時間だ。
一日が無事に過ごせた事を実感する。
まだ、全ての事を自分で出来ることに感謝せねば。

7月4日
右耳の腫れとともにみみだれが増えてくる。

7月5日
宝塚第一病院・外科にて傷口のチェック・
どや、シャワーであんじょう洗ろてるか?
いやー、先生、流石にシャワーでは・・・・

7月7日
医誠会病院の機構改革があったので新たに北区の方のクリニックで抗がん剤の点滴をしてもらう
夕刻は恒例の、6月を生きてきたお祝いで、お気に入りの焼き鳥屋へ。

7月8〜11日
抗がん剤、お約束の副作用との戦い。
顔パンパン、左目見えない、右目やにぼとぼと、右耳パンパンで聞こえない。耳垂れぼとぼと。
ナンじゃこりゃ・・・・

今日が一番苦しい
明日は少しは楽になるって、自分に言い聞かせる以外に時間は過ぎていかない。
梅雨の時期と相まってうっとおしい日々を送る

いま、パソコンを打っているのも右目だけだよ。

7月12〜15日
抗がん剤の副作用はなんとか去ってくれ、宝塚第一病院や福島の漢方医、はたまた大阪天満のクリニック、と忙しい日程をこなした。

視野の改善が見られないので、宝塚第一病院の眼科にて診察を受ける。
網膜はく離の病名を頂く。
手術で改善は可能だが、末期患者が目の手術でもあるまい・・・・

患部からの膿はほとんど出なくなった。
はてさて、お次はどんな展開なんやろう?

今の状況は、真っ赤に熟した直径7〜8センチ、厚さ2センチのトマトの輪切りを耳の下につけているよな状態。
遠目には直径7〜8センチの真っ赤なハイビスカスをつけているようにみえるやろうね。
トマトの中はドンドン侵食流出されてガタガタの不整地状態で、淵は今にも内側に崩れ落ちそうなほどの残り方で、就寝時にはガーゼが擦れて痛いのじゃ。

痛み止めのロキソニンを一日2錠飲んでいれば、散歩や片目読書もこなせるし、食欲も困るほどある。
まだまだ生きている喜びを感じる日々である。

7月18日
梅雨明けかな?
湿度はあるものの、暑そうな青空がひろがっている。
海の日だそうだが、小生は毎日が日曜日。
妻は今日も仕事や!とぶつくさいいながら出勤なさいました。

朝食は昨夜の残り物、夏野菜たっぷりサラダとスープ、人参ジュース、カスカードのハードトーストの豪華ラインナップでこさえた。
妻には申し訳ないが、お気に入りのテラスでリッチに音楽と朝刊と朝食。

入院はせんぞ!
闘うぞ!
こんな時間を持てることの幸せをかみ締めて、また涙。

就寝時には血液混じりの滲出液が多くなってきた。

7月19日
ガーゼ交換の際に出血始まる。
多くが5月時と同じ生レバー状の血液。

7月20日
顔はパンパンなアンパンマン。
痛み止めのロキソニンが一日2錠から3錠に増える。
喉の痛み、どきっ!と嚥下が痛い。
喉を覗いて貰おうにも顔が腫れていて口が開いていない。

7月22日
こんだけ傷口が開いてりゃ痛いわな。
でも、ホームセンターへは車を運転して行くもんね。
流石に片目で立体駐車場は怖い。

7月23日
朝トイレで、うーん。 あ・・・・・来た!
ズボンを降ろしたまま、トレイのところへ走る
血液受けトレイを首の下に、再度トイレに行って、尻の仕舞い。
やっぱり救急車呼ぶにしても身だしなみはね・・・・
なんと冷静なことか。

出血は大。
午後も一度あり、都合生レバーはフィルムケース2杯にはなった。
5月時とは異なり、生レバーより更に堅い房の連続した血の塊(焼き鳥屋で注文する玉紐)が蜂の巣になった腫瘍の穴からずるずるずる。
この世のものとは思えない光景だが、結構、あー悪い血がドンドン出てるんとちゃうやろか、てな感じで見ている自分がいる。

トレイに落ちる血の音はボトンボトンっといた粘りのある音で、止血をしないで最後まで鏡で見る
トレイの中で血がドンドン固まっていく。
10秒もすれば手で掴むことが出来る。
どす黒い色だ。
               (真夏の読み物としてはいいですね・・・・・)
7月24日
昨日に引き続きトイレ中の力みで始まった出血。

午前2回、午後1回。
生レバーの量は180CCに達した。
血液と足して300CCぐらいは本日で出血している
こんなん毎日続いたらえらいこっちゃ。
耳の周りの腫れにこんだけの血液がたまってるんやろか。

流石にほほ骨の周りの肉がそげてきた。
久し振りのやつれ顔になるかな。

今日より苦しい日は無いと信じているが、本間に毎日よういじめてくれます。

*5月18日にレバー状写真を追加しています。気の弱い人は見ないでください。
 どんなんやねん、というお問い合わせが100件に達しましたので掲載しました。

夕食後、出血が気になるので少しぬるめの風呂で半身浴。
風呂上りの後、サー就寝時のパッドを当てようかな、と思っていたら、またまた出血が始まった。
いつものボトボト出血とは別に勢いのある、でも動脈のようなぴゅー、といった感じではないが、出血が続く。
暫く(20秒ぐらい)トレイを見ていたが止まる気配はない。

妻に、救急車呼んで!の依頼。
タオルできつく押さえるも駄目。
救急車は2分ぐらいで到着。

今回は慣れている。
あらかじめ電話で宝塚第一病院に受入依頼をする。
首の下に受けているトレイは500CCを超えているかな。
診察券をポケットに入れる自分がいるのがおかしい。

病院では、既にカルテが出され、ラッキーにもKドクターが待機していただいていた。
最終受入の病院を決めていたことは正解であった。

治療のための局所の麻酔も腫瘍部はまったく神経がないのか、痛みを感じない。
出血の原因になっている部位を探し出すのに少しの手間はかかったようだが、細い動脈で、レーダーによる焼き切りで出血は止まった。

とりあえず入院ということで330号室(個室でっせ。ぽぽーんと張りこみました。)
ほっと落ち着いたのは日付も変わる頃であった。

7月25日
不安な一夜が明けた。
窓から見える景色は暑そうな夏の気配。

朝のトイレは非常呼び出しの場所を何度も確認してのことであった。
主治医、例のシャワーで洗ったらいいよのMドクターの回診があった。

もう帰ってもええよ。
血も止まってるし、血液濃度は3分の1ぐらいに減ってるけど、後はなんにも治療は無いよ。
抗がん剤治療をすることは可能やけど、副作用と戦いながら一ヶ月単位で命が延びるだけや。
それやったら、残された自分の時間を大切にするほうがいいのんとちゃうか。
どちらにしても自分で決めなさい。
・・・・・・Mドクターのコメントであった。

夕刻に帰宅することにする。

7月26日
流石にふらふらする。
また、自分のベッドで目が覚めるのが不思議な感じだ。
昨日のMドクターの言葉は流石にきつかった。
わかってるんやけどね・・・

7月27〜31日
顔の腫れは徐々に引いてはいるが、その分右耳下に集約されつつあり、耳周辺の痛みは尋常ではなくなってきた。29日夜はたまりかねて、いままでロキソニン鎮痛錠で対応していたが、更に強力なペンダジン錠にする。

一気に聞くね。
痛みは消えるというよりも、意識はあるけど、体はフリーズ状態。
なんか怖いね。

バイクのエンジンをかけてやる。

小学生の頃に読んだJ.ベルヌ作「二年間の休暇」(15少年漂流記)を古本屋で見つけた。
2200円のケース付き美本が100円!だ。
550頁を一気に読んでしまった。
夕刻に熱が出る。

あたりまえじゃ!

8月1日
睡眠薬を飲んでいるものの熟睡は出来ていない。
8月になっちゃた。
感無量というよりも、感不感というのが正直なところ。

昨日から頸部の生理パットはソフィ夜用からロリエ多い日用に替わった。
患部の肥大や周辺の皮膚のただれによる痛み、滲出物の観察の容易さ(吸収タイプはどんな物が出たのかわからなくてあまりよくない)等から5種類ぐらいの遍歴をしたが、少しはましになった模様だ。

それにしてもこれがなかったら、ガーゼ交換にまだ泣いているところだ。
回復したら俺は立派な生理用品評論家になれるぞ。

4日、妻が念のために宝塚第一病院にて痛み止め座薬をゲット。
風呂上りに出血があったが、大事には至らなかった。

8月5日
今週に入ってますます痛み止めが効かなくなってきた。
ロキソニンを6時間毎、2錠でなんとか持ちこたえている。

どんな痛みナンや?
それが文章表現がまた難しいので困っています。
ばらして言えば、頭痛、中耳炎の痛み、顎をプレスで押さえつけられたような痛み、かな。

8月6日
痛みが若干緩和してきた。
痛み止めのロキソニンも1錠/6時間でなんとかもっている。

痛かったら躊躇せんと、痛み止めを使いや!最終的にはモルヒネもあるし、ってよく言われる。
特段、最終のモルヒネをどうこう思っている訳でもない。

今日を乗り越えれば少しは楽な明日がある、という思考回路を持ち続けている限り、痛み止めのグレードアップはいつも遅れるのだ。今週の始めなんか、余りの痛みで夜半ベッドから落ちたもんね・・・・

いま、骨折したらどないしょ?

8月9日
痛みは和らぎ、ロキソニン1錠/4〜5回/日でいけてる。
朝から妻に散髪をしてもらう。
いつもの500円マルコメ味噌カット。
今回は、前回の教訓もあり、もみ上げにテープを張ってカットをお願いした。

漢方医の帰り、気になっていたエスニック系グリル?でランチ。
合格!   お店のHPは http://a151factoryde.gozaru.jp
久し振りのトムヤムスープの味に涙する。

8月11日
朝から兵庫医大の麻酔科。
宝塚第一病院に週一で来られているペインクリニックのドクターの勧めで、痛み止め薬の調整のためにやってきた。
野戦病院みたいに小さなベッドがずらりと並んだところで、インターン君に、これは効きますか?これはどうですか?・・・・・聞かれるが・・・・
半日かかって痛み止めの効き具合チェックをされる。

大きな病院は疲れる。

夕食後からオキシコンチンと胃薬のムスタコに変える。

8月12日
そんなに効いた感じはないけどなー。
一日二回の服用なので朝食後も飲んだが、さー一日中頭がボーっとして生活のレベルが保てない。

滲出液の出は、耳からも含めて相変わらずだが、匂いは少し緩和されてきた。
頸部の破裂部分は若干ではあるが全体に小さくなってきた。

政局がえらい面白い。
来月11日まではなんとしても持たせようーっと。

8月13日
朝の散歩が少し続くようになった。
痛み止めも、日中はロキソニンで効くが、就寝時にはオキシコンチン錠を服用をして8と15の週はなんとか日を重ねていったが、日々を大切に生きているにはほど遠く、なんとか痛みに耐えて時間を消化していっている感じである。

8月22日
8月も下旬に入った。
患部腫瘍の高さは低くなったものの、はじけ具合は拡がり、片手ではちと隠れづらくなってきた。
生理用品でのパッキングも限界に近づいてきた。
ムーニーちゃんを頭から被るの????

左目が見えなくなったので身体障害者手帳の交付を申請していたのだが、本日交付された。
高速代とかJRなど、高福祉社会を反映して種々の割引メニューはあるものの、やっぱりお世話にはなりたくないな。
健康が一番、という言葉がこれほど輝いて見えるとは・・・

8月25日
診察というよりも、なんいも治療が無いという閉塞感がストレスになってきたので、大阪・天満のMドクターに会いに行く。いつものことながら、我々夫婦のトラブルから医療全般、全てに渡って真剣に聞いていただく。
答えはいいんです。
じっくりと聞いていただくことが、どれほど安心感に繋がることか。

6時間おきの痛み止めの日々が続くが、併せて胃潰瘍症状が表れて悩まされる日々である。
痛み止めが胃にダメージを与えるのだろう。
今日より苦しい日は無い・・・・・うううううう、あるがな!

8月31日
ここんところ、9時30分に就寝。2時間毎のガーゼ交換であるが、3時ごろまでは睡眠誘導系の薬も良く利いて、イビキガ聞こえる。(自分のイビキって聞こえるでしょう?)
明け方より痛み止めが効かなくなってきて、結局は5時起床、コーヒーと新聞で1時間過ごす。

今朝は寒いぐらい。
6時より思い切って散歩にでる。
顔を引きちぎられるような痛みを連れての散歩は矢張り気が散ってといけません。
痛み止めは結構キツイので食後に飲んだ方がいいし・・・・
生活サイクルと投薬サイクルの組み合わせに悩むのであった。

9月に入りましたが、痛み止めの連続投与と左目の視力が完全に無くなったこととあいまって、臥せっております。
パソコン操作をする意欲がちょっと湧いてきませんので、少し休憩します。

当面、連絡等がありましたら、携帯電話メール gaku1949gaku@docomo.ne.jp までお願いします。

10月7日
まだまだ生きています!
も、つらい・・・・

 9月2日より顔の腫れがひどくなり、食物摂取も缶に入った流動食等で乗り越えてきました。
痛みのは頭痛、耳痛、傷痛、肩のこり等々の複合的な痛みで、痛み止めを思うようには・・・

 意識も何度か朦朧としてきて、夜中には知らんおっちゃんが、おい!、なんて呼ぶ声も二回ほど聞きました。

 9月26日頃より起き上がる気力も出てきました。
昼間は出来るだけ普段着に着替えていますが、どうしても横になってしまいますね。

10月10日  38度の発熱。顔の腫れは依然続く。

10月11日  久し振りの中出血。フィルムケース2杯分ぐらいか。
         暫く観察をしていたが、自力で止まってくれた。

10月16日
4〜5時間置きの鎮痛剤、ガーゼ交換、便秘、激痛肩こり 等々とお付き合いをしながら10月も
3日前あたりから顔の腫れがミリ単位で引いてき始めたが、口に出して言うと癌細胞にさとられるので、家族がしきりに、おとうさん腫れが引いてきたやん!の声も無視していたのだった。

体重は学生時代から55キロを保っていたが、流石に9月からの寝たきりに近い生活で46キロに落ちた。
もともと筋肉だけの体であったので、骨皮君になってしまった。
半身浴をしても湯面が上がらず、妻に、湯をケチるな!と文句を言う骨皮君であった。

今日あたりから歩行訓練に・・・・・とは思うが、とにかく痛みが・・・・

11月1日
なんだかんじゃ言いながら11月に滑り込んだ
就寝時に飲むオキシコンチン錠の副作用である強烈な便秘に悩まされながらなんとか・・・・

10月中旬以降はかなり体調、気力も上がって来て、今年の5月に行った日本海・三朝温泉に湯治に行く。いつも満員待ちの湯治場が空いていたことは、これもまたお導きかも。

しかし。3日目で前回と同じく疲れの方に導かれてしまって、4日目で帰宅。

現在は腫れが右耳下周辺に全て集約されてきているようである。
鼻、口ともに顔の左半分に寄って、ひょっとこもびっくり。

食物摂取はなんとか可能ってところか・・・でも、モスのロースかつバーガーが食いていだよな。
体重は一時46キロであったが50キロにまでリカバリー。

さー、お節料理のカタログでも見よーと。

                
*ここから下が更新部分です。

11月5日 
 兵庫医大のペインクリニックにて疼痛軽減のためのモルヒネパッチ(皮膚から吸収させるためのシール)を72時間置きで調整してもらう。 結局、今疼痛のために投薬しているのは、モルヒネパッチとハイペン錠を6時間置きとなった。

11月14日
 大出血。救急車を呼ぶも到着時点で止まっており、お引取りねがう。

11月15日
 夜中の3時に再び大出血。救急車を呼ぶのもなんなので、出血を眺めていたら600CCぐらいで止まってくれた。体温の上昇が出血を誘発するみたいだ。

11月18日
 風呂あがり、再び出血が始まり、救急車を呼ぶ。宝塚第一病院到着時には止まっていたが、1リットルぐらいは出ていた。点滴を受けて一晩入院する。翌日にさしたる治療もないので退院。

11月20日〜26日
 完全に寝たきりとなり、気分的にも絶不調となり、一日中うなさていた。
 月末に向けては少しずつ気分もよくなり、朝のマック・モーニングを一人で食べに行けるようにまでなる。

12月1日
 小出血あり。 体調もまずまずであったので、大阪免疫センターに連れていってもらい、血液検査と胸部、腹部のレントゲン撮影。撮影結果は問題なし。Mドクターは転移をいろいろと心配なすってくれっているようです。

12月2日
 小出血あり。 想定内分量であるので動揺は小さいが、しかしもったいない。
 顔の腫れはひどく、右目の瞼も蓋をしてしまい、両目をつむっているのが一番に楽な体勢となってしまった・

12月3日

 
山岳部連中が信州や仙台から見舞いに来てくれる。涙もろくなっているので、つらい。

12月5日
 丸山ワクチンの注射を始める。一日おきで40回の投与である。気合を入れなくっちゃ。

12月7日
 今年ほどお節料理と年賀状の予約を躊躇したことはなかったが、今日はパソコンにむかって年賀状を作成している。ありがたいことです。

12月24日
 早朝に大出血あり 宝塚第一病院へ救急車で搬送
今までにない出血量に絶体絶命のピンチ!
寝ている間にかなりの量が出ていた為、いつもの調子でトレイを取りに起きた瞬間 バタッ!!
もうあかん・・・
 
  
テレホンa@
1・1・9
 
 何回救急車の要請をしただろう。
 その度に、状況説明から始まる。が、今回はさすがに落ち着いちゃいられない!
 いつも来てもらってます。とにかく、とにかく早く来て・・・
 
  

 大変なクリスマスだったけど、サンタさんからもらった”いのち”のプレゼント
 今は辛い事ばかりだけど生きてることに感謝しよう!!きっといいことがあるさ 
 
 
12月29日
 
貧血が進み、気力・体力共に↓
 どうせ又出血するからもったいないし・・と迷っていた輸血を決断
 こんなにしんどかったら 頑張られへん
 確かに血圧が上がり・顔色もよくなり・・体のフラフラ感がましになった。

12月31日
 大
変な1年だったけど、何とか無事に年が越せそうです。
 
これも一重に皆様の暖かいご声援のお陰です。 感謝・感謝

H
18年1月1日
 
 
あけましておめでとうございます

  
ありがとう  生きてます。

 穏やかな元旦。
 初詣に行きたいけれど・・・ちょっと体力に自信なし。
 今年は寝正月と決め込む。無駄な体力の消耗は禁物!!。
 愚妻なる私目が、お賽銭を張り込んでお参りへ・・・・
 (遅くなりましたが、HPの更新が出来ず皆々様に多大なるご心配をおかけしていると言う事で、12月24日
 より代筆をすることになりました。私がへんこで・頑固で・煮ても焼いても食えない旦那に泣かされております  愚妻であります。暫くの間お付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。)

 1月 2日

 朝昼兼用の食事 
 どうしたことであろうか・・・食べるものが喉を通らない。
 とうとう来るべき時が来たか・・・
 ・・と思いきや、食べる・通る・・・あれは何だったんだ!!
 久々に満腹感を感じるほど食べてしまった 晩御飯。
 あ〜よかった


 
1月 3日
 今日も食べました。3食しっかり!

 血よ増えてくれ!体力よついてくれ!!
 正月の外泊も終わり、夜、病院へ(自主的に入院しているのでご心配なく)

 
1月 4日
 精神的にも落ち着いたのでそろそろ自宅に帰ることに。
 いつもであればそそくさと退散するのだが、明日昼食を食べてから帰ることにした。
 おいしいんだな!今日の昼食なんて豚シャブだったもんね!

 月 5日
 全快しての退院で無いのが残念です。
 夕食時、患部に熱感があり咀嚼と共に痛みが極限に達する。もういやだ!!こんな痛いの・・・
 思わず涙・そして弱気の発言

 1月 7日
 不思議だなぁ・・?
 どうして家に帰ると出血するんだろう??
 退院2日目にしてまたまた中量弱の出血アリ
 前回の出血がトラウマになっている2人。寒くて布団から出るのはイヤだけど・・
 自主入院することにした。せっかく人様から頂いた血を無駄にすることは出来ん!!

 1月 8日
 止血剤・鉄剤の点滴開始
 食欲は旺盛 イヤ!食べにゃ〜あかん!!体力回復のためにも・・・

 1月10日
 ウォーキングシューズ・杖・無線機のお散歩グッズを持ってきて!とのメールあり。
 体調に合わせて1日何往復か1F〜6Fの病室まで階段の上がり降りでトレーニング
 調子の良い日は近所の神社まで・・・ 
 
 1月12日
 脱走兵約2名!? 2・3日同室だった学生さん(交通事故で入院中)を誘って自宅へ逃走
 鍋を囲んでの夕食    久々の団欒でした。


 1月15日 
 14日より2泊3日で試験外泊
 午前中に久々のお風呂タイム・・・血が少ないせいであろうか動悸がする。
 口から心臓が出そう・・
 あ・あ・しんど・・・体力を消耗してしまい、夕食も摂れず寝込んでしまう。

 1月16日
 今日はカナダ在住のガールフレンドが尋ねてきてくれる。何が何でも元気を出さなくては・・・
 楽しいひと時・元気をもらった。ありがとう!!

 1月17日
 必ずカナダに行くから!!と再会を約束し、ガールフレンドを見送った。
 テンションが上がりすぎたのか、午後から鎮痛剤も飲めないぐらい疲れて寝込んでしまう。

 1月18日
 退院の許可は出たが、こんなにしんどくてはどうしようもない。
 本日200cc 明日200ccの輸血をしてもらうことにした。
 いつまでこんなに辛い日々が続くのだろう・辛い・・